プロレスとは、人生の縮図🌏なのかも!?

🍀プロレスとは、ある意味”ファンタジー”であり、また一方で”人生の縮図なのかも”とも思えている。試合展開の途中では、優勢だの劣勢だのあるが、試合結果はどちらに転ぶか分からない。両者リングアウトの引き分けだとか、レスラーの力量だけではなくてレフェリー失神による反則裁定。理不尽な裁定により観客は驚き呆れ(あきれ)、怒りのブーイング、釈然としない感情を抱きながらも経過を見守り、次に期待しようとする。

 ここぞという時の不透明決着でファンの人たちを嫌な気分にさせて家路につかせることは、現代はほぼなくなったのだと思う。でも昔のTVで観ていた”プロレス小僧”であった僕には、その決着の行方に悶々として🌙夜眠れなくなったことも数々あった😝

そうそう、現代のプロレスは”楽しいプロレス”のオンパレードという風潮がある🍭🍬それはそれで莫大なニーズに応えることになっているが、僕たちの感情、喜び・悲しみ・怒り・落胆・希望・欲望・嫉妬・・・を代弁してきてくれていたマット界のぶつかりあう自由なキャラクタ−たちは、どこへ行ってしまったのだろう😰

🚩🚩🚩チャンピオンシップ以外では、試合の結果はどうでもよくて、そのプロセスにこそ人生の理不尽さも含めて”レスラーの旬の生きざま”を見たいのである‼️世の中、白か黒か答えが出ることばかりではないのだから。👅

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