体操など🏂採点競技の「美とチカラ」の接点〜三島由紀夫・談

故・三島由紀夫氏が生きていたら、今の新型コロナウィルス感染拡大の状況を、なんと嘆くのだろう!?と思い浮かべたりしますが・・・。👏三島由紀夫氏は、体操やフィギュアスポーツのように芸術とスポーツの接点であるような「美と力」の接点であるような採点競技に格別の興味を持っていたらしいのです。

🔔そのまた昔、オリンピックの🚣ボート選手だった故・田中英光氏が小説家になってから😡「小説の価値評価のあいまいさ」に業を煮やし🔥、芸術(小説家)とアスリートでの両方の評価を知る彼なりに「スポーツの世界のほうが、ずっと明快で住みやすい世界だ。勝負は誰の目にもわかるし、それでなくても点数ではっきりするから」ということを言ったことに対して、

👄三島氏は「しかし一概にそうも言えないのであって専門家から見れば、二つの小説の優劣は案外ハッキリわかるものであるし、また、スポーツでも体操といった競技の採点では、芸術の鑑賞に似た”印象点が三分ぐらいを占めているにちがいない」のだと反論を投げかけていたようです。

🍀三島談:「さっき芸術とスポーツの合間で”神”のようであったアスリートは、こうして会ってみると風貌&態度のどこにも人間離れしたところはない。むしろ休憩時のアスリートの顔に浮かんでいるその平均的な日本人の日常的な表情とあの神業(カミワザ)との間を、『練習』という苛酷な見えない鎖がつないでいるのが感動的である。その苛酷な練習とは、”神”と人間とを無理やりに結びつける神聖な鎖(クサリ)の役目をしているのだと思えてくる」のだと。・・・自分が体操やフィギュアスケートなどの「美とチカラ」の競技に魅せられているのは、そういうことなのかぁと不思議にわかったような気がしたのでした👍

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