メイル(男性)・ヌードの始まった頃と、タマ1個分の急所

🍀まず、🎥映画界におけるメイル(男性)ヌードの歴史についてですが、いっときは興行成績を左右するまでに、その存在感があったものです。当時は女性が中心であった衝撃的なヌードというものが、時代とともに男性俳優の「ストーリー上必要なら脱いでも構わない」だったり、「観客に驚きやショックを与えられる効果が得られるのなら」とか、「キャラクタ−がそういう行動をとるのなら、ボクはそう演じるのみだ」というコメントがあり当時から現代までに、お尻からフロント・ヌード披露まで辞さないオファーに、寛容な男優が増えてきたことに、その発展性はみられる。

 時代とともにマスメディアが進化してきたことによって、俳優がヌードになること自体、その希少性も薄らいでしまってきたのだが。今や、女性がかなり業界進出してきたことにより、「観客は男性(それも異性愛者)だけではない」ということを、女性や同性愛者によるニーズ(需要)を、大いに気づかせてくれてきている。芸術の世界ではミケランジェロのダビテ像はパンツをはいていないし、古くは60年代、80年代からはセッ◯ス・シンボルとして、現代は役に息を吹き込む男性ならではのヌード・シーンがあることが映画のストーリーの活性化に一役買っている。

 ところで、あるときTVで⚾️野球放送を聞いていたら、📺解説者がこんなことを言っていた。「得意なポイントのそばに、思わぬ落とし穴があるものですよ」と。つまり、長所のそばには、欠点がある。インコーナーの球をホームランする猛打者は、タマ一つ分外れた悪球を打って凡打する。アウトコーナーの球を上手く流す好打者は、得意になっているとタマ一つ分外されたコントロールで乱されてしまい、そこが急所になったりするというのである。😝

 👂「ヌードの衝撃性ばかり話題にされてしまうと、そこへたどり着くまでの日常描写の伏線には目がいかなくなり、この映画が何の物語だったのかわからなくなって終わってしまう。」ヌード出演を断る俳優たちは、そんなことも言っていた。視覚媒体が反乱している現代で、単体では「俺のことデッサン人形ぐらいにしか思ってないでしょ?」と言われてハッとするぐらいの存在だったら、まだカワイイけど。裸は日常的なものであり、ヌード(裸)は非日常的に存在を感じるなものであるとしたら、これからの未来もメイル(男性)・ヌードは、インパクト大◎であり続けるんですよねー👍

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