「スクール・カースト制度」なる言葉は、『桐島部活やめるってよ』(2009刊 朝井リョウ氏・著)のなかで発生した言葉らしい。それまで僕は”カースト制度”なんて言葉は、教科書のインドの「カースト制度」ぐらいしか聞いたことがなかったが、てんでそンなんじゃあ奥手なんだとか😰・・・ふりかえれば、最初から🏫学校とは身分社会だった。みな「身の程」を、わきまえて生活していた。(※カースト制度は身分によって階級を分ける、インドで昔使われていた制度で、上下の身分関係で有機的に結合した制度)
しかし、時々思うのだ。世の中〜つまり学校〜には、「特権」を持つ人というのがいる。「なんで高校のクラスって、こんなにもわかりやすく人間が階層化されているのだろう😝、と。男子のトップグループ👨、女子のトップグループ、あとまあ😎それ以外。ぱっとみて、一瞬でわかってしまう。だってそういう子達って、なんだか制服の着方から持ち物から、字のカタチやら歩き方やら喋り方やら、全部違う気がする。」だから、誰が特権を持つかは、一瞬にしてわかる。
🚩🚩🚩特権を持つ人というのは目立つ人である。目立つ人は、目立つ人とグループを作る。目立たない人は、目立たない人と仲良くなる。人はグループごと「上」から「下」へと階層化されていく。だからか、映画部の👦男子はサッカーが嫌いである。「サッカーってなんでこうも、『上』と『下』をキレイに分けてしまうスポーツなんだろう」😡男子の多くがサッカー選手になりたいと思うのは、その能力が幸福に結びつくことを知っているからである。🌟他者を圧倒する何らかのチカラを持っていなければ、人は「上」に行くことも、そこにとどまることもできないってことを、幼くして感じているってことなのか・・・🌈
✋自分の地位を客観的に見ることに関して、男子は元々女子よりも能力が低い。👩女性とは、自分の身体を直接的に操作することで印象操作をするジェンダーのことである。わかりやすくいうと、美人とは”美人になる努力をする人”のことであり、生まれながらの「美貌」を持ちながら何の努力もしない人は美人ではない。それに対して、1軍・Aランクの男子とは、🌟「こうした女性的客観的な目で、自分自身をモニタリングしていくことを怠らない男子👨」のことなのである。・・・文章にしてみると、なんて辛辣な、ドキリとする”スクールカーストからの延長”ではないか👍