🙌かなり乱暴だけど、「水球アスリートは2回、17歳を迎える」😳のだと思う。人生の17歳は高校生の時、そして水球を始めてから17年目にまた、ゆらゆらする「思春期」がやってくるのだという定説を聞いた👂のだった。水球アスリートとしての存在が揺らぐのは、何か”成長の証”なんだろうなあ➰。
🌈石の上にも3年、何をやってでも17年もすれば、なにがしかの能力や経験がついてくる。そしたら、ちょっとした成長痛は免れない。自分なりのスケールで、その先に進もうとする⚡️成長痛😝この状態、”17歳の犯罪”とかいって、悪い面ばかりがクローズアップされるけど、”ゆらゆら”はイイものだ。ソレがなきゃあ固まっちまう🚀
☔️自分が揺らぐから、周囲との関係もゆらゆらしてくる。ゲームの中で🏊必死にチームメイトを求め、水球というバックグラウンドの自分を探す。それまでの戦術が解体したり、新しい戦術ルートができたり😡もがきながら新戦術のもと、チームが出来上がってくると自分の中で、また次のステージが産声を上げる。
👔17年目に自分でも呆れるくらいに、アマチュアな部分を発見したりする。その17歳🌱を越えて、イイ大人になったとき、赤子のように困り果てている自分を見るのは、あとから結構面白いものだ☺️心配したり怖がったりする前に、この水球という競技のなかに自分のやるべきことは、まだ沢山あると思えてくる”思春期越え”は、すぐそこにやってきていた👍