「どうしてボクサーになったのか?」〜彼は答えた「詩人にはなれない。物語を語るやり方を、知らないんだ」

 🌙ここでいう”ボクサー”とは、すべての「格闘する人間」の代名詞として、とらえることをことわっておく。「どうしてボクサーになったのですか?」という問いに対して、女流作家のジョイス・キャロル・オーツは、一人のボクサーの答えを紹介している。 〜「詩人にはなれない。物語を語るやり方を、知らないんだ」と。(👈彼女の著書『オン・ボクシング』より)

しかし、ボクサーの誰もが、自らの身体を用いて物語を紡(つむ)いでいることは明らかだ。・・・カラダが語ってる、詩人じゃないか‼️鍛え抜かれた彼らのカラダには、”ストーリー性”が宿んでいるとでもいおうか。そして、ボクサー(格闘家)は常に鏡を見る。それは自分のカラダ(肉体)が、己(おのれ)の闘争本能を納得させられるものか否かをチェックするためだろうが、鏡の中の自分を見て何も思わないボクサーはいない。

そうさ、ボクサーは敵と闘う前に、まず鏡の中の自分に向かい合うんだ。自分自身に問いかけて、まずは鏡の中の自分を相手に格闘するのさ。・・・俺は誰だ? 何をしてる? なぜ闘う? 誰と闘う? 何と闘う? 強くなりたいか? 強くなりたい! なぜ強くなりたい? 勝ちたいか? 勝ちたい! なぜ勝ちたい?何に勝ちたい? なぜボクサーになった? ♂➰※✖️∀・・・😳

ボクサーは常に鏡を見る。印象派と呼ぶには少々病的で現代的と言える画家のボナールは、60歳を過ぎて描いた自画像に「ボクサー」と名付けた。老境に差し掛かったボナールも拳を握り、痩せ衰え始めて肋骨の浮き出た鏡の中の自分と格闘してみせたのだった。💢「物語を語るやり方を知らないから、詩人にはなれなかっただってえ〜」てんで可笑しいや‼️「てめえのカラダが物語ってるじゃねえか⚡️」

 

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