水球💦「和して同ぜず、同じて和せず」の意味😳

📔偉人が書いた「教養のために、してはならない百か条」の最後のほうにこんな一条がある。「・・・自分は皆とは違う、という気持ちを忘れない。そして、結局は自分も皆と同じだ、という判断を忘れない。」

🍀☝️実に含蓄に富んだ言葉だといえる。プロの水球選手は個人事業主で全員が一国一城の主なのだから、”オレが、オレが”👊という精神を基本的に持っていなくてはならない。と同時に、各人はチームに所属し、団体ゲームとしての戦いをしていく以上、我を折って協調してゆかねばならない場面も少なからずある。その両方のケースに当てはまる言葉だからだ。

主体性と協調性‼️この相反する命題をごく短い言葉で統一してみせた名言は、『論語』の”和して同ぜず”なのである。しかし「動物行動学」的にこの相反するというものを解析するならば、それはどちらの要素も”男性ホルモンの中に含まれている”ということらしいのだ。

🏉水球やサッカーなどの団体球技をするアスリートに見られる相手に立ち向かう”勇氣”や、男子たちは空間認識力を駆使しながらボールの位置や仲間の位置を瞬時に確認しながら、攻め上がる”協調性”。それとは、まるで古代からの”狩り”を思わせるものだ。古代の祖先から脈々として受け継がれてきた渦巻く血潮には、すでに言葉にすれば”和して同ぜず”の精神が大河のようにゆったり押し寄せてきているのである👍

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