この映画「ナインハーフ 9 1/2」を劇場で観たときには、戦慄が走った。👀ついに自分は親の目も、友人たちの好奇な目も気にせずに、こんな”エロスシーン”に立ち会う大人になったのだという”気恥ずかしさと度胸”とが入り交じった、複雑な心境だった。それに、自分ではない他人である👩カノジョが”時の生き証人”として横にいるのだ。引き返せないオトナになってしまった😡というムズガユサが、ますます映画館のシートを居心地悪くしていた。
💕恋人同士が、いつもこんなんだったら、とても自分の手には負えないと思えるまでに、その頃の俺はウブだった。当時それほど、蒼さに突き刺さる”本望エロティックな映画”だ。キム・ベイシンガーの美しさは語り継がれた定番となっているが、あの頃のミッキー・ロークといったら、🌟”男の色気の権化(ごんげ)”ともいうべき、彼の一瞬の微笑みだけで性欲の全てが語られてしまうほどの威力があった✨ミッキー・ロークが整形でむちゃくちゃになる前の”端正”ともいうべき”美男”のままでスクリーンに生きているのを見て、”嗚呼!”・・・収められていたスクリーン画像に💧涙する。”運命とは”、かくも残酷なものか〜映画「レスラー」の彼は、もはや見たくない😰
「ナインハーフ」で特に有名になったのは、目隠しをして氷のかけらで愛撫していくシーン。💋口とか唇とか、感じやすい箇所を間接的にせよ触られるのだから、普通なら手ではらいのけるところを、おとなしくしているのは、「どういうこと?」👩女が男にハマってしまったのものだろうか?隣にいるカノジョに訊いてみたかったけど、そんなの野暮だろうし😝ぐるぐる思惑は回って、エロスを目で追えない。経験不足の当時の俺は、すでに支離滅裂🚀
📖原作はニューヨーク在住の女性エグゼクティヴのエリザベス・マクニール『ある愛の記憶〜飼われた猫のように』🙌バブル時代の男と女は、スタイリッシュな出会いやゲーム感覚の恋愛を気に掛けるようになり、それ関連のファッションやレストラン、住空間と自らの健康管理、音楽やアートといった情報にやたら詳しい”ヤッピー”と言われ生きていた。生活感や労働感もなく享楽的な世界感は、青春小説「アメリカンサイコ」と並んで俺の憧れだった氣がする。〜なにもかもが、バブルだったのだ👍