”他人テイスト”👟が、ダサさの根源!

✨20代前半の新鮮さに多感な頃、中目黒に住んでいる一人暮らしの男友達の🏡家に遊びに行ったことがあります。僕から見てその彼はライフスタイルがかなりイケていて、オシャレ感が溢れ出ているような青年でした。よお〜し、そのイケてる感覚を盗んでやろーっと意気込んで、お邪魔したのでした👌

🙌さすがインテリアも北欧風で、イケてる彼なら”そうでしょうとも”と納得のコーディネートだったのです。憧れが最高潮🚀のときに、ご飯を出してくれたのですが・・・?エッ??それが👀明らかに実家の引き出物から持ってきたであろう「花柄のダッサイ食器」だったのです😝

田舎モノだった僕にだって分かります😳このとき、僕は瞬間的に「おおっ、ダッサァ!」と思ってしまいました😡(👈ご飯出してくれたのに、ゴメンナサイ🙏)その彼は心根が優しい人だったから、そこは統一感無くて、何となく実家のお母様のチョイスとかをつい取り入れてしまっていたんでしょうねえ。残念っ‼️

🌈整った全体像の中に一部だけ他人の価値観が入り込むと、トーンダウンした途端に「ダサい違和感」が生まれることを知った瞬間でした。服コーデでも、パリッとした黒いスーツに、カジュアルチックな靴下がチラ見えしたような違和感とでもいいましょうか😰やはり、最初から最後まで自分一人のテイストで統一して、他人テイストを一つでも取り込まないほうが、見ているほうに説得力があるということなのでしょうネ。〜このブログは”純・自分”だけが編集してるんで、統一感あるでしょ(笑)👍

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